mmmtk14’s blog

深呼吸して、思いきって

6月28日

今日は有り余る考える時間があったので

いろいろ振り返ってみる

 

私が最近つくづく思うのは

本当の友達とは

「自分が楽しい時に傍にいるのではなく

辛い時に傍に居ようとしてくれる人」

だということ

 

SNSを通じてしか通いあっていなかった仲は

薄っぺらくて中身がない

そういう仲の人とは

薄っぺらい関係でいても

いいと私は思う

 

別に無理やり付き合っていく必要なんて

ないし、

そもそもそういう人は人間関係を

損得勘定で作り上げるタイプだと思っている

 

自分の中身は何も変えず、

ストレートな付き合いをし合える人とだけ

付き合っていけばいいと思う

 

仕事ではそうはいかないけれど

まだ学生だし、友人を鑑みる時間はある

 

私は意外と人間関係には薄情であるから

いきなりの態度の急変を

不愉快に感じられることもあるだろう

 

その理由は悲しいことなので

あからさまにはしないのが倫理的には

いいと考える

 

 

 

 

 

それから、もう1つ

 

他人を傷つける言葉の暴力からは

なにもうまれないということ

 

私はそんなことは小学生の頃に心得たが。

 

未だに

自分の生活上の経験のみならず

現代社会の情報網には

誹謗中傷が絡まっている

 

 

恐らく他人を蔑み、

自分の不愉快さ、苛立ちを

言葉の暴力でしか表せない人は

恐らくそれ以外の賢い手段を

思いつかないのであろう。

 

 

言葉の暴力で相手が傷つくのを

見ては、優越感に浸れるのか

 

一時的な効果はあるにせよ、(私は知らない)

恐らくまともな大多数の人間は

後に後追い地獄のように後悔することに

なるはずだ

 

あくまで私の経験から語っているのではなく

他人から聞いた話や

傍観者としての立場から社会を眺めた時に

ふと感じることである

 

 

傷つけられた人は

どんなに楽しいことがあっても

幸せだったとしても

その傷は決して完全に癒えはしないだろう

 

いじめ、パワハラモラハラ、、、

 

あげていくと限りない

こんな言葉達は現代社会が生み出した

 

そこから始まる新しい議論があり、

意見が生まれる

そこで思い通じて意気投合し合う人々もいる

結局、大切なのは

通い逢える意見を持つ同士が意見を伝え合うということだと思う

 

そこに正解があろうがなかろうが

救われても、解決に至らなくても

同じ境遇にたち、苦しみながらも

懸命に生きようと

乗り越えようとしている存在を

確めることができればいいと思う

 

世界中にはありとあらゆる理由で

悩み、苦しんでいる人が山ほどいる

 

私はその多くを知らないし、

今まで知ろうともしなかった

 

ただ、楽しく幸せに

薄っぺらくてもふわふわといればいいと思っていた

 

けれどそういうことを考える期間になって

様々な理由で苦しんでいる人達の

意見を知りたい、と思うようになった

 

理解、手助け、云々ではなく

ただ、知りたい

 

それが支えになるかは分からないが

 

一緒に悲しんだり、悩んだりしたいのだ

 

同情や感情移入は意味がないだろうか

 

相手の気持ちになって考える

 

この基本的なモラルが欠けていることから

始まる不要な悲しみ、苦しみに

馬鹿らしささえ感じる

 

 

たいそうなことを言えるほど

人の役にたってきた経験は乏しいが

小学生の頃に教えてもらった

 

「あいてのいやがることはしてはいけません」

 

を実践できなかった時は

深く反省し、

できるだけ一貫して守り抜きたい信念である